2026年7月号掲載

贅沢と欲望の経営史 あなたはなぜ今日もスタバに行ってしまうのか

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著者紹介

概要

現代資本主義の勝者であるGAFA。いまだ圧倒的な力を持ち続けている彼らの強みを、「欲望の経営史」という視点から読み解いた書だ。香辛料などの贅沢品はいかにして人々の欲望を刺激したのか。これらの品々は資本主義とどう関わってきたのか。その歴史を様々な事例を通して考察し、GAFAのビジネスモデルの核心に迫る。

要約

贅沢は敵? 素敵?

 古今東西、贅沢を美徳か悪徳かに分けるならば、どちらかというと悪徳に分類されることが多い。

 中世ヨーロッパのキリスト教世界では、「7つの大罪」の1つであるエゴや貪欲と結びつけて、贅沢が非難された。富への執着や快楽の追求は神への信仰を疎かにし、魂を堕落させるものと考えられていたのだ。

ヒュームの「贅沢論」

 これに対し、贅沢を肯定的に見る立論をしたのが、18世紀の経験論哲学者デイヴィッド・ヒュームである。彼は、自著『趣味および情念の繊細さについて』で、贅沢を悪徳と見なす当時の伝統的な道徳観念に異を唱え、贅沢が社会や経済に与える肯定的な側面を強調した。

 この時代、贅沢は「国家を軟弱にし、道徳を腐敗させるもの」と批判されていた。しかし彼は、贅沢を単なる浪費ではなく「諸芸術と精神の洗練」として捉え直した。贅沢品への欲求が生まれ、それを得るために必死で働くことで、産業や芸術、技術が向上する。その結果、社会が文化的な成熟を迎えるというプラスのサイクルを考えたのだ。

ヴェーバーと「節欲説」

 一方、この「贅沢論」に対して、企業・経営者の歴史を研究する経営史、特にマックス・ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』に影響を受けた経営史学は、贅沢・飲食に対する欲望を自制する「節欲説」を説いた。

 ヴェーバーは、近代資本主義が単なる利潤追求ではなく「禁欲的倫理」といった宗教的価値観に支えられていたことを示した。この視点は経営史に応用され、経営者の行動における非利己的・倫理的な動機づけに注目する傾向が生まれた。

 *

 上述の通り、資本主義の発展のダイナミズムは、ヒューム的にもヴェーバー的にも解釈できる。だが、いまだ資本主義の発展史を「欲望」の視点から評価するものは少ない。そこで、贅沢品の歴史という視点から資本主義の展開を見ていこう。

贅沢品の歴史

 資本主義の歴史を振り返ると、贅沢品が重要な役割を果たしてきたことがわかる。

 16~18世紀のヨーロッパでは、国を豊かにするために、輸出を推進することで金銀をためるという「重商主義」の考え方が主流だった。そうした中、植民地を広げたり、海外貿易で主導権を握ったりすることが国家戦略の1つとなった。